MENU

『かんなぎ』堂々完結!あの“神様同居コメディ”の終着点を振り返る

『かんなぎ』堂々完結!あの“神様同居コメディ”の終着点を振り返る

「神様が突然、俺の作った木像から出てきたんだけど…?」

そんなぶっ飛んだ展開で始まった漫画『かんなぎ』。2000年代後半の空気感を思い出す人も多いと思う。アニメ化されたこともあって、作品の存在自体は知ってるって人も少なくないはず。

ただ、その後しばらく音沙汰がなかったこともあって、「あれってどうなったんだっけ?」とか「完結したの?連載止まってるの?」とモヤッとしてる人もいるかもしれない。

ということで今回は、『かんなぎ』が本当に完結しているのか、その過程で何があったのか、ラストはどうだったのか──を、あの時代を知っている読者の目線でじっくり振り返ってみたい。


目次

『かんなぎ』とは──ジャンルとしてのラブコメ+神様要素

まずざっくり説明しておくと、『かんなぎ』は武梨えりによる漫画作品。ジャンル的には「神様×ラブコメ×青春」といった感じ。

ある日、主人公・御厨仁が彫った神像から“ナギ”という少女が突然出てきて、一緒に暮らすことになるという、いわゆる“同居モノ”の展開が軸。

ナギは「土地神」でありながら、かなり自由奔放でワガママ。ツンデレっぽい部分もありつつ、妙に人間臭い。いわゆる「神様っぽくない神様」。

仁は基本的にツッコミ役。だけど、決して感情を抑えてるタイプでもなく、彼自身も結構感情を出してくるタイプ。だから会話に“熱”があって、読んでいてテンポが心地よい。

で、そこにクラスメイトの少女たちや、仁の幼なじみ・青葉つぐみが絡んできて、物語はどんどん人間関係が複雑になっていく。神様と人間、そして“好き”って気持ちの曖昧さ。そういうところを丁寧に描いていった作品だった。


連載トラブルと長期休載──完結に至るまでの道のり

この作品、ある意味“波乱万丈”な連載だった。連載は2006年にスタート。人気も出て、2008年にはアニメ化もされ、勢いづいていた……のだけど、2009年頃に突如、長期休載に入る。

原因は、作者・武梨えり先生の体調不良。さらに、それとは別に作品内の描写がネットで炎上してしまい、読者の一部が暴走気味に騒ぐという事態に。
あの頃のネットの空気感、今思い出してもなかなかしんどいものがあるけど、作者側にも精神的に負担が大きかったと思う。

そこから2011年に連載が再開
その後は断続的に続き、2017年に最終巻(12巻)で完結となった。約11年の連載期間中、活動休止期間も含まれていたため、追いかけていた読者には長く感じたかもしれない。


物語の終盤──“神様”としてのナギと“人間”としての仁の距離感

では、ラストはどんな終わり方をしたのか。

物語の核心にあったのは、「ナギが本当に神様なのか」という疑念と、「仁が彼女をどう受け止めるのか」というテーマだったと思う。最初はドタバタ同居コメディとして始まったけど、物語が進むにつれて「神様の力とは」「祀られる存在とは何か」といったテーマに踏み込んでいった。

最終巻では、ナギが“薙”という新しい存在として生まれ変わる形で再登場。仁との直接的な関係性はいったんリセットされるが、互いに“何か”を感じ取りながら、新たな日常を歩み始める──という、いわゆる再スタート系のエンディングになっている。

それが“すっきりした終わり”かと問われると、人によって意見は分かれるかもしれない。

けれど、当初から描かれていたテーマに対しては、きちんと着地した印象だった。


キャラクターとしての“ナギ”が持つ二面性

ナギというキャラは、“神様らしくない神様”であると同時に、誰よりも“人間らしい存在”でもあったと思う。

ワガママだったり、お菓子を食べ過ぎたり、テレビのアイドルに嫉妬したり──いちいちリアクションが大きくて、いわゆる「萌えキャラ」的なポジションではある。だけど、物語が進むにつれて、ナギの中にある“孤独感”や“消えることへの恐怖”が描かれていって、そのギャップにグッとくる。

“祀られなくなった神”の寂しさや、自分という存在の正体を見失いかける苦しみ。

こういった内面的な揺らぎを持たせたことで、ナギは単なるヒロイン以上の存在として描かれていた。


印象的だった“つぐみ”というキャラ

もうひとり、読者の心に残ったキャラが青葉つぐみ。仁の幼なじみで、物語を通してナギとは対照的な“現実的な存在”として登場する。

彼女の魅力は、ヒロインっぽくないところにある。自分の気持ちに素直になれないけど、ちゃんと向き合おうとする。仁への恋心も、どこか“報われない”匂いが常に漂っていた。

最終巻ではつぐみが仁に対して気持ちを伝えるシーンがある。

でも、その結果がどうなったかは、読み手の捉え方に委ねられているところがあって、それがまた切なかった。


『かんなぎ』という作品が残したもの

今振り返ってみると、『かんなぎ』は“当時のラブコメのテンプレ”を踏襲しながらも、内面のテーマは意外と重かった。
神と人間という存在の差を扱いながらも、「人は何を信じて生きていくのか」という哲学的な問いを投げかけてくる作品だったと思う。

また、ネット炎上、長期休載、復帰、そして完結という連載史も、ひとつの“時代の記録”として残る漫画だった。
当時リアルタイムで追ってた人なら、「あの頃の空気」を思い出すかもしれないし、最近になって読んだ人なら、「あ、こういう作品って今では貴重だな」と思うかもしれない。


まとめ:『かんなぎ』は完結済み。だけど、未だに語りたくなる作品

・連載は2006年〜2017年。最終巻は12巻で完結済み
・途中、長期休載などを挟みつつも、物語は丁寧に着地
・神様と人間の距離を描いた、優しくて苦いラブコメディ
・ナギと仁、つぐみ、それぞれの“思い”の落としどころが絶妙だった
・当時のラブコメとは一線を画す深みのある作品だった

完結からもう数年経っているけれど、『かんなぎ』が残した“余韻”は、まだどこかに残ってる。
ふとした瞬間に、ナギの「我は神であるぞ!」というテンション高いセリフを思い出して、ちょっと笑ってしまう。
そんな作品だったと思う。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次